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スンバ島の風景

スンバ島は、インドネシアの小スンダ列島に属するフローレス島の南にある大きな島です。
島全体が、隆起珊瑚礁から出来ていて、緩やかな丘陵が重なり合ったような風景が見られます。
メインの観光ルートからは外れているので、3月頃に行われる、パッソーラと呼ばれるイベントの時以外は、欧米人の観光客なども多くありません。
現在、バリ島からはウィングス・エア航空が直行便を運行しているようです。
今回紹介するのは、1998年に撮影した、中心都市のワインガプ近郊の丘陵地の風景です。
当時は、ボラック・エアという国内線を運行する航空会社が、直行便を出していたようですが、2008年に営業を止めてしまったようです。

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ワインガプから10数km西に移動したあたりで撮影。
かっては、森林に覆われていたようだが、焼き畑と、その後導入した家畜類の放牧のために、森林は殆ど姿を消している。
オランダ領時代には、サンダルウッド・アイランドと呼ばれ、白檀の産出で知られていた。

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上の場所よりもさらに西に行ったところに、比較的大きな湖のような水域がある。
地元の人によると、雨水のたまったところで、乾季になると干上がってしまうという。
湖というよりは、大きな水溜まりのようなものかも知れない。

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この一帯の代表的な風景、背の低い草原が見渡すかぎり広がっている。
景観としては壮大な眺めだが、作物としては、ココヤシとトウモロコシが栽培されているだけだ。
ここから西に20km程行くと、レワというこの島では比較的大きな町?に出る。
島内では、この付近だけ水に恵まれていて、小規模な水田耕作が見られる。
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スンバ島Kadengar村とMarosi海岸

1998年3月に、スンバ島で撮影した画像を紹介します。
スンバ島第2の町、ワイカブバクの北西にあるマロシ海岸を散策した時のものです。
ヨーロッパ人の旅行者3人が、ビーチへ行きたいと言っていたので、同行させてもらいました。
ワイカブバクからしばらく北上して、左に入るとマロシ海岸へ出ます。
ヨーロッパ人の旅行者には、ある程度知られた海岸のようでした。
特に宿泊施設があるわけでも無く、ほとんど人のいない、きれいな砂浜があるだけのところです。


海岸へ出る手前数kmの所にある、Kadengar村。
スンバ島にある、伝統的な部落の一つで、時たま旅行者が訪れることもある場所のようです。
屋根の中央が煙突のように伸びた独特な形の民家と、その周辺にある、石造りの墓が、伝統的な部落の特徴になっています。




マロシ海岸。
珊瑚礁に面した真っ白な砂浜と、エメラルド色の海が広がる海岸です。
バリ島などであれば、かなりの観光地になりそうな場所ですが、この頃は同行したメンバーがいるだけで、ほとんど無人のビーチでした。
その分、ゴミなどもなく、南の強烈な太陽が照り付けているだけの場所でした。
今ではこの近くに、フランス人経営のリゾートホテルが出来ているようです。

スンバ島のイカット

1998年に、スンバ島へ行った時の写真を紹介します。
スンバ島の観光の目玉としては、3月頃に行われる、パッソーラという槍投げの催しがあります。
馬に乗った戦士たちが、東西に分かれて相手に向かって、槍に見立てた棒を投げて勝負を競うものです。
儀式的な戦争とも言えるもので、初めのうちはゲーム感覚で盛り上がって行きますが、興奮してくると殴り合いなどの闘争になることもしばしばのようです。
それと、もう一つ有名なのが、イカットと呼ばれる織物です。
バリ島などで売られているものは、ほとんどが化学染料で染色して、機械で織ったものが多いですが、ここでは、糸を紡ぐ段階から手作業で、織り上げるまでの工程を見ることも出来ます。
もちろん、安いものは化学染料で染めたものもありますが、草木染めの手織りのイカットは、現地でもかなり高価なものです。

織物をしている村を訪れると、それぞれの家から、おり上がったイカットを持ってきて、デモンストレーションを行う。
高いものは、現地価格でも数万円を超えるものもある。
ただ、本当に出来の良いものは、現地のディーラーが買い占めているので、なかなか目にする機会もないようだ。
ちなみに、写真の右奥に見えているテーブルのようなものは、伝統的なお墓で、その左側にあるのは、キリスト教式のお墓。
このへんの島は、キリスト教がかなり普及していて、小さな教会もたくさん見ることが出来る。


イカットを織るのは女性の仕事で、高床式の家の床下で、伝統的な座り機という技法で織り上げられている。
伝統的な民家は、現地の気候に良くあった建て方をされていて、風がよく通って驚く程涼しい。

チモール島:植物など

チモール島で撮影した、風景以外の写真はごくわずかなものだが、その中で植物を写した写真のうち3枚を載せます。

ツキイゲ Spinifex littoreus (Burn. fil.) Merr

イネ科ツキイゲ属
分布:種子島・屋久島以南の南西諸島・中国南部・台湾・インドネシア・インド
海岸に生育する。
大きなウニのような外見を持ち、イネ科としては例外的に雌雄異株。
同属の植物は太平洋諸島・オーストラリアからインド・東アジアにかけて数種が分布する。

道ばたで見かけたマメ科の花、名前は不明。

アティス

バンレイシ科バンレイシ属の多年生半落葉性低木、英名(シュガーアップル)、日本名(釈迦頭)
原産地:南米
東南アジアなどで広く栽培される。
日本では沖縄の一部で栽培されている。

チモール島:Kupangのパサール(市場)

クパンのパサールは海岸に接して開かれている。
道路沿いにも店が出ているが、こちらは衣料品やザックなど生活必需品が多い。
海に面した方には魚を売る店が並び、沖合から帰ってきた小舟が横付けになって、捕れたばかりの魚を水揚げしたり、その場で直接商売したりする。
どんな種類の魚でも捕っているようで非常に多くの種類が見られる。
面白いので5-6日、毎朝通ったが、100種類以上の魚を見たような気がする。


道路に面したところ。
衣料品や雑貨などを扱っている店が多い。
人も比較的まばらだ。




上の写真の店では非常に多くの種類が並んでいた。
下は3匹の大きなボラが並んでいた店。


7-8歳位の男の子が、黒いポリ袋を売っていた。
あまり熱心とは思えなかったが。




魚をさばいているところ、下の人はエイを切り分けていた。


値段は付いていない、売り手と客との交渉で値段が決まってゆく。


大人の背丈よりも大きなハタの一種。
しっぽの先は頭より上にあり、口は砂浜に付いている。

カラフルな魚がたくさん並んでいた店。
ブダイやベラの仲間が多い。
カワハギなどもあった。

ここには1.5m位の大きなカマスが2匹並んでいた。

チモール島:Soeへの小旅行

チモール島の滞在は1994年3月3日から12日まで。
6日から8日まで西チモールの首都であるソエに行ってみた。
首都といっても人口3万人ほどの地方都市だ。


クパンのバスターミナルは、ホテルからかなり離れた郊外にあったので、ターミナル方面行きのミニバスに乗った。
一般に乗り合いのミニバスを「ベモ」と呼ぶ。
このベモが途中で故障して動かなくなってしまったので、代わりの車に乗り換えてターミナルへ向かった。
ホテルからターミナルまで600ルピア。
ソエまでの運賃は3,500ルピア。
今は45,000ルピアほどらしい。

ソエまでは3時間ほどかかる。
距離的には110kmほどで、それほどではないが、高原地帯にあるため上り坂が続くので、当時運行していたバスの登坂能力があまりないために、結構な時間がかかる。
インドネシアでの移動は、ジャワなどのメインロードをのぞけば、30-35kmで1時間ぐらいかかると思った方がいい。
ソエにもバスターミナルがあるが、ターミナル周辺の比較的狭い地域に家が集まっており、15分も歩けば家もまばらな田舎の風景になる。
高原地帯のため朝夕はかなり肌寒くなり、昼間でも結構涼しい。
基本的には草原が広がっていて、その中にユーカリが生えている。
ユーカリは幹が真っ白で、白樺の林を見るような感じだ。
林といってもかなりまばらに木が生えているだけで、日本の林のように木がかたまって生えているわけではない。

ユーカリの林。
手前の草むらのような所には、ランタナなどの灌木が生えている。
牛が飼われているために草丈も低く保たれている。
オーストラリアのロンリー・プラネット社の旅行ガイドブックには、オーストラリア的な景観であると書かれてあった。



バスターミナル周辺で見つけた「キオビゲンセイ」の仲間。
ハイビスカスに何頭も集まっていた。
この仲間はハイビスカスに集まっていることが多く、時には塊のように集まっていることもある。

ガイドと自称する青年の案内で、2日目にソエからさらに奥のKapang(カパン)方面へ行く。
尾根道の横に飛び出していた石灰岩の露頭。
近づいてみると洞窟のようなものがある。



車の中から林が見えたので、近づいてみるとモクマオウの植林地だった。
何となく日本の山のカラマツの植林地のような雰囲気がある。
山全体が隆起珊瑚礁の石灰岩で出来ているような感じで、芝生のような草丈の低い草地になっている。



尾根道を走っていていきなり現れた群衆。
この場所で定期的に開かれているパサール(市)だった。
トラックなどに大勢乗り込んでやってくる人たちもいるが、大部分の人たちは何キロも先から歩いてやってくる。
観光目的ではない地方の市場は、食料品と生活必需品がほとんどだ。
何か面白いものでもないかとあちこち見て回ったが、工芸品のようなものはあまり置いてないようだったので、特に買い物もしないまま。
ガイドの青年はもう一日案内をしたかったようだったが、一日だけで済ませて翌日のバスでクパンに戻った。
時間があれば結構のんびりと滞在できそうな所だ。

チモール島:Kupang(クパン)

チモール島はインドネシアの大きな島の中では、もっともオーストラリアの近くに位置する。
オーストラリア北西部のダーウィンから600kmほどの所にある。
旅行者の多くがオーストラリア人で、バリ島やジャワへ行く途中で立ち寄る人も多い。
ダーウィンから1時間半ほどで、チモール島最大の都市クパンまで来られるようだ。


チモール島を訪れたのは1994年のことで、その後訪れる機会を持っていない。
チモールの西に位置するスンバ島を訪れたときに、草原ばかりのスンバ島を旅行しているうちに、もっと林のある島へ行きたいと思って、スンバ島から直接に飛行機で行けるチモールへ行ったのだった。
チモール島はそれほど広い地域を旅行したわけではなかったが、スンバ島よりは木が生えているとはいえ、同じような、ある意味ではより壮大な風景が広がった土地だった。
最大の都市である、クパンはチモールが属する西ヌサトゥンガラ州の首都で、チモール島の首都ではない。
チモール島の首都はさらに山の方へバスで半日ほど行ったところにあるソエという小さな町だ。
ソエまでバスで行って、数日滞在し、クパンに戻ってさらに数日過ごして、次の目的地のジャワへ行くために、チモールを離れる直前に、クパンの旅行会社のスタッフと話していると、東チモールの中心都市であるディリまで夜行の長距離バスが運行していて、外国人も旅行許可証無しで旅行できるということを教えてくれた。
東チモールは、以前(1980年代)は入域制限が非常に厳しく、宿泊するホテルや交通手段を含めた詳細なスケジュールと、入域許可を申請する申請書を、インドネシア政府に提出し、スペシャル・パーミッションと呼ばれるものを発行してもらわないと、航空会社でもチケットを発券してくれないような状態だったので、この情報は意外な気もした。
バリ島からジャワへ行く日程もあって、翌年にインドネシアを再訪したときに、東チモールまで行こうと考えてチモールを離れた。

だが翌年の初頭から独立運動がらみの内戦が勃発し、東チモールからの難民が大量に西チモールに流入し、国境付近でのゲリラ戦なども発生し、チモール島自体の旅行が困難になってしまったため、東チモール行きの機会はなくなってしまった。
1994年に撮影したフィルムは、バリ島に戻った折に現像に回したが、処理が粗く水洗いなども不十分だったようで、発色も良くなく一部を除いて大半を処分してしまい、チモールで撮影したものも、ごく少数が残っているだけだ。
ちなみにスンバ島のワインガプからチモール島のクパンまでのフライトが、132,500ルピア。
クパンではMarina Hotelに宿泊。
クパンのエルタリ空港からホテルまでのタクシー代が、7,500ルピア。
ホテル代が1泊11,000ルピア。


クパンの町から海岸へ出たあたり。
西の方向を眺めたところ。
隆起珊瑚礁の丘陵が海岸へ迫り、高さはそれほどではないが断崖状になって、海へ落ち込んでいる。
アウトリガー付の小舟が見える。


上の場所から東側を見たところ。
海の方にせり出した一番手前の建物はレストランで、良く昼食を食べたところ。
チモール第1の都会といっても、何となく田舎の大きい町といった雰囲気だ。


海岸沿いに東へ行ったところにある墓地。
海に面した明るい斜面になっていて、眺めがとても良いところだ。
墓地に木を植えるのは他の島へ行ったときにも見られたので、広く行われている風習なのだろうと思う。
チモール島はキリスト教徒の多い島で、墓の作り方もキリスト教の形式。


海岸近くで見かけた、牛の皮をなめしている男性。
あまり丁寧な感じではなかったが、面白かったのでしばらく眺めていた。


朝方、雨上がりの大通り。
海岸にあるパサールの近くで撮影。
左側が海岸に続く。
このとき写した写真の中では一番気に入っている。




二つともキリスト教の教会。
上は小さなかわいらしい感じの教会だが、下はかなり大きな教会で、大聖堂までは行かないがカテドラルといった雰囲気の教会だった。
他にもたくさんの教会があるが、どれも個性的なデザインでなかなか興味深かった。


高台の上に建つペルニ社の事務所。
ペルニ社はインドネシアの島々をむすぶ船舶を運営している大手の海運会社で、良く船旅をする欧米人の旅行者には名の知られた会社だ。
客船やフェリーだけでなく貨物なども扱っている。


街角に露天を出して果物を売っていた夫婦。
スンバ島よりは果物が多いようだが、バリ島やジャワなどと比べると収穫量はとても少ない。


歩道の上で乗り合いバスの来るのを待つ人々。
小型のバスが運行していて、一般の人たちの足として活躍している。
屋根の上にある番号は路線を示しており、ほぼ決まったルートを走っているが、一本裏の通りなどでも、頼めば自分の家の前までいってくれる。